~なぜ回想は物語を支配するのか~
1. 無限城編における回想シーンの比重
2025年公開の映画『鬼滅の刃 無限城編』(第一章)は、上映時間が約150分と長尺です。その中で特に印象的なのが回想シーンの多さです。SNSやレビューサイトでも「回想が長い」「頻度が多すぎる」という感想が目立ちます。
物語の構造としては、激しい1対1のバトルの最中に味方キャラの回想 → 敵キャラの回想 → 再びバトルという流れが何度も繰り返されます。ある観客は「劇中に6回も回想が入った」と指摘しており、さらに「第3回目の回想は20分近く続く」との声もあります。
興味深いのは、これを「トイレ休憩タイム」とユーモラスに評する観客までいることです。回想が物語のテンポを区切るだけでなく、結果的に観客の“呼吸”を整える時間にもなっているわけです。

回想の内容はほとんどが**「大切な人との別れや喪失」**に関するもので、鬼化の動機や戦う理由を補強するために挿入されます。ただし、過去編そのものが感情的に深い場合もあれば、表面的で引き延ばしに感じられる場合もあり、評価は分かれています。
2. 続編(第二章)で予想される戦闘数と回想数
第二章は、原作18巻後半から21巻の黒死牟戦直前までを描くとされ、主な戦いは**童磨戦(カナヲ・伊之助)と黒死牟戦(複数柱の共闘)**が中心になる見込みです。第一章同様、戦闘と回想が交互に挿入される“断続型”の構造が予想されます。 章 主な戦闘シーン 戦闘シーン数 回想の想定回数 回想の主な内容例 第一章(実績) 猗窩座戦(義勇&炭治郎)、獪岳戦(善逸)、童磨戦導入(しのぶ) 3 約6回 猗窩座の過去、義勇の家族・隊士時代、善逸の修行と師弟関係、しのぶとカナエの姉妹の記憶 第二章(予想) 童磨戦(カナヲ・伊之助 vs 童磨)、黒死牟戦(実弥・行冥・無一郎など柱の共闘、複数フェーズの長期戦) 2〜3 2〜3回以上 しのぶの遺志とカナヲの背景、伊之助の幼少期、黒死牟と縁壱の因縁、柱たちの過去や決意
第一章と比較すると戦闘数はやや少なめですが、黒死牟戦は長尺で複数フェーズに分かれるため、実質的な見ごたえは同等かそれ以上と予想されます。その分、要所で挟まれる回想の感情的な効果も強まると考えられます。
3. なぜ回想は物語を支配するのか
回想は単なる情報提供ではなく、**感情移入を促す“感情ブースター”**です。特にアクションやバトルが続く物語では、観客や読者の心を落ち着け、キャラの動機や人間性を補強するために非常に有効です。
しかし、使いすぎるとテンポが失われ、視聴者が「引き延ばし」と感じてしまうリスクがあります。『鬼滅の刃 無限城編』は、回想の感情効果を最大化しようとしつつ、量的には限界ギリギリまで使った結果、評価が二分する作品になったと考えられます。
4. 日本アニメ映画史に見る「回想が支配する作品」
アニメ映画の中で、上映時間の大部分を回想が占める例は多くありません。代表例としては**『おもひでぽろぽろ』(1991/高畑勲)**があり、ほぼ全編が幼少期パートで構成されます。
**『火垂るの墓』(1988/高畑勲)は主人公の死後から過去を描く形式ですが、全体の半分以上が回想というわけではありません。
海外では『Le Jour Se Lève』(1939)**のような全編回想型の古典も存在します。

無限城編は、こうした作品とは異なり、アクションの合間に断続的に回想を差し込む形式で、長尺アクションと回想のリズムを組み合わせた構造が特徴です。
5. 回想という語りの起源と漫画への波及
映像における回想の起源は、1901年の短編映画『Histoire d’un crime』とされ、1930年代には全編回想型が確立しました。
日本漫画では手塚治虫以降、キャラの背景や動機を深めるための手法として定着し、1990年代の**『スラムダンク』**では試合の心理的転換点で短い回想を挟み、物語の緊張感を高める構造が印象的に用いられました。以降、バトル・スポーツ漫画で広く影響を与えたといえます。
6. まとめ
無限城編第一章は、断続型の回想が多く“体感で半分近い”印象を与える珍しい構成。
第二章は戦闘“回数”は2~3に絞られても、黒死牟戦の長尺化で総尺は濃密化。要所で2~4回の回想が挿入される見立て。
回想は感情ブースターとして有効だが、多用はテンポ低下の諸刃の剣。
起源は映画、定着は手塚以降の漫画、『スラムダンク』以降はピーク点に合わせる“使いどころの美学”が広まった。
第二章では、回想と戦斗の“呼吸”の取り方がどう最適化されるかに注目したいところです。
コメント